屋外展示車両の紹介

屋外展示車両

北海道の鉄道発祥の地を記念してオープンした三笠鉄道村では、蒸気機関車以外にも、北海道全域で活躍した歴史的な鉄道車両を数多く展示しています。

廃車となり解体された鉄道車両も多い中、これらは日本の鉄道技術の発展の歴史を今に伝える貴重なものです。

DD14形ロータリー式雪掻装置付液体式ディーゼル機関車(DD14 1)

従来の蒸気式ロータリー除雪車は自走することができず、除雪する度に蒸気機関車の後押しを必要としました。また、蒸気式のため給水が頻繁に必要で、除雪効率が上がりませんでした。

そこで開発されたのが、DD14液体式ディーゼル機関車です。夏季には除雪用の雪掻装置を外して通常のディーゼル機関車と同様に運用するなど、合理的に設計されました。


三笠鉄道村で保存しているDD14 1は1960年代に汽車会社で製造された試作機関車で、鉄道における除雪技術の記念碑的なものです。道内各地で除雪試験を繰り返し、1987年に旭川で廃車となりました。

キハ22形気動車(キハ22 52)

北海道向けに耐寒耐雪構造の気動車として設計されたもので、側面の窓の小型化や二重窓化などの工夫が凝らされています。都市近郊の通勤輸送、都市間連絡輸送、ローカル線など、全道各地で活躍しました。

普通列車用に製造されたものの、寒気を直接客室に入れないようデッキを設けていたため、一部の線区では急行列車にも使用されました。


三笠鉄道村で保存しているキハ22 52は、1960年に富士重工で製造されたもので、朱色5号に塗装変更された姿で展示されています。最初に配置されたのは苗穂で、1987年に旭川で廃車を迎えました。

チキ6000形35t積長物車(チキ6147)とソ80形操重車(ソ81)

チキ車(左手の白色の車両)は木材・電柱・レール等の長尺で大きな貨物の輸送に利用された平床の車両で、操重車(右手の黄色の車両)は脱線や転覆した車両を吊り上げて復線させるために設計された車両です。


三笠鉄道村で保存しているチキ6147は、製造年不明で、1980年に国鉄長野工場でレール輸送用に改造されたものです。ソ81は、1958年に国鉄浜松工場で製造された、ソ80形初期の製造車です。双方とも最後は長万部駅に配備され、チキ6147にソ81のクレーンアームを置く形でペアを組んで、事故に備えて待機していました。

80系特急気動車(キハ82 100・キハ80 52・キハ80 150・キハ80 145・キシ80 27・キハ82 87)

電化されていない区間も走ることのできる、特急列車用のディーゼル動車です。80系特急気動車の登場により、1961年10月より北海道で初めての特急列車「おおぞら」号が函館~旭川間で運行を開始しました。その後、道内の特急列車や本州と北海道を結ぶ特急列車として活躍しましたが、新型車両の導入により1992年9月までにすべての80系特急気動車が引退し、廃車となりました。


鉄道車両の保存は1両単位となってしまうことが多いところ、三笠鉄道村では、先頭車(キハ82系)や旧1等車(キロ80系)、食堂車(キシ80系)なども含めた「編成」として保存している点に特徴があります。

キハ82 100(旧2等車)・キハ80 150(旧2等車)・キハ80 145(旧2等車)は1965年に富士重工で、キシ80 27(食堂車)は1964年に新潟鉄工で、キロ80 52(旧1等車)とキハ82 87(旧2等車)は1965年に新潟鉄工でそれぞれ製造され、いずれも最終配置は函館でした。

DD51形液体式ディーゼル機関車(DD51 548)

一時代を築いた蒸気機関車でしたが、煙害のため、徐々にディーゼル機関車に置き換えられるようになりました。DD51形液体式ディーゼル機関車もその1つです。特急列車や貨物列車の牽引に活躍し、かつて人気を博した寝台特急列車「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」にも使用されました。


三笠鉄道村で保存しているDD51 548は、1967年に製造されて旭川に配置され、1986年の廃車まで函館本線・宗谷本線・石北本線などで活躍しました。1968年には、昭和天皇・皇后両陛下の行幸啓に際して運転されたお召列車の牽引に使用されています。